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KDA-3は、川崎造船所飛行機部(後の川崎航空機)が大日本帝国陸軍向けに試作した戦闘機。機体名称の「KDA」は「Kawasaki Dockyard, Army」の略。 == 経緯 == 1927年(昭和2年)3月、陸軍は旧式化した甲式四型戦闘機を代替する新型戦闘機の競争試作を三菱航空機、中島飛行機、川崎、石川島飛行機の四社に命じ、これを受けて三菱・中島・川崎の三社が実機を製作することになった。川崎ではリヒャルト・フォークト技師の設計によるKDA-3の開発を開始し、1928年(昭和3年)3月に自社実験用の一号機が完成。続いて5月に陸軍向けの試験機である二号機と三号機が完成した。 一号機は各務原での試験飛行中、着陸時に事故を起こし破損。二、三号機は一号機の事故を受けてエンジンおよび尾翼形状の変更を行った後、所沢で陸軍による審査飛行に従事した。しかし、同じく審査飛行中だった三菱の隼型試作戦闘機が急降下飛行時に空中分解事故を起こした事を受け、陸軍は三社の試作機に対する強度試験を実施。その結果、いずれも規定の強度を満たしていないことが判明し、三社ともに不採用となった。なお、最終的にはもっとも強度が高かった中島のNCが、改造を重ねた末に九一式戦闘機として制式採用されている。 その後、不採用となった試作機は川崎の社有実験機として金属製航空機の研究に用いられた後、三号機は民間仕様の練習機に改造されて亜細亜航空機関学校に払い下げられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「KDA-3 (航空機)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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